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学年が上がってもできないものはできない

子供は小学3年生なのですが、たぶん今できない生活面のことは
6年生になってもできていないと思います。
物が落ちていても、またいでスルーするとか
帰宅した後、帽子を玄関にしまわないとか、
勉強に取り掛かる以前の机の片づけに15分以上かかるとか、
だらだら漢字の書き取りをして、挙句に間違った漢字をノート1枚書き続けるとか。
ま、簡単なルールをひとつひとつできるようになったね、
なんてことは、
年長のころからありませんよね。
むしろ、年中のころのほうが素直で、真面目にやっていたかもしれない。


まだ、3年生、とか言う言葉は大間違いだと思います。


なぜそう思うか?

学校関連の行事で、高学年のクラスにお手伝いに入ると
ほんとうに身のまわりのことができない様子を見かけます。
落としたものを自分で拾わない、こぼした墨汁を拭いてもらって当たり前、とか、
自分の子供ならただじゃすまないぞ、みたいな光景をよく見かけたから。
一人しかいないと、いつかできるんじゃないかなと幻想を抱いていました。
でも、できないんだな、と悟りました。

子供を怒っても無駄、言い続けても無駄、という人がいて、
もう大学生なんだけどやっぱり身の回りができないままで、と言います。
それって、ダメだった例ですよね。
そうなってほしくないんだってば。
自分の子がダメだったからと言って、無駄ってひとくくりにするのは違う。

怒ればいいってもんじゃないこともわかる。

だからといって、やろうねーとかよいしょしてやらせるもんでもない。
出来タネ出来タネってその年齢で当たり前にできることを、褒めようとかもおかしいと思う。
自分を振り返って、子どもの生活に支障が出るような家事をしているとも思えないし、馬鹿丁寧ではないけど、そこそこ片づけもしているはず?だと思うのに。

しかもね、子供の勉強を時々みつつ、洗濯たたんだり、片づけたり、床拭いたり、なにか働きながらだから、親がテレビ見てお菓子食べて、やれやれ!と怒っているわけでもないのに。


なんか、やってもらって当たり前だと思っているのかなと悲しくなりましたね。


なぜこのネタかというと。
2年生の漢字が怪しいので、さっき、書き取りに付き合いました。
かつて、自宅で3回以上言っても書けてない字がありました。
それは、「かいが」です。
絵画コンクールで賞をもらった。というところでヒントもあります。
しかも、絵、も、画、も難しい字じゃないよね。

いつまでたっても書けない。読めてもないのかもしれない。

その都度、もう間違わないように練習しようと声掛けもしました。
怒ってないし。
それじゃあ、全然真剣にならないんでしょう。
響いてないんですよね、やろうと思わない。
痛くもかゆくもないし、それが書けないからってどーっつことない、
そんなのかけないと恥ずかしいだなんてプライドなんてもんもないんだから。

で、書けないなら書けないでいいんだけど(だって私の人生じゃない)
その姿勢に対して、雷を落としました。
特大どころか、ブラックホール突入!!クラス。

子供の性格が、出来もしないのにやるという気質があり、
塾に行って、出来もしないのにそこにいるだけが大好きだった。
塾に戻りたい気持ちがあるのなら、こういう事を塾で習っても家でおさらいできなきゃだめだ、と家庭学習の大事さを痛感したためやめさせました。
塾で講義を受けたことを家でやらなければ、お金を落としにだけ行く、労力を無駄に夜使う、親も送迎でぐったり、ほんと、それだけ、になります。

勉強は、学びたい、伸びたい、それが大事で
やっている気持ちになるだけでいいわけではありません。
その親の気持ちをわからせたいとも思っています。

がんばってもできないならいいんです。
100点じゃなきゃダメだと言ってない。
50点なら50点をとる努力をしたか。
塾に行きたいだとか、~したいだとかをよく「かっこつけ」でいうのかわかりませんが、やるといったことをやってみてほったらかすことは、親が振り回されることになるので最近は、ピアノ以外手を広げないと決めています。
それだけでも中途半端になりそうなこの頃。


漢字練習をしていても、子供が思うことを想像するに、
「枠がある、書けと言われている、なぞれと言われているから書く。
読み方はいくつかある、それがどうか考えもせず、ただ写す。」
やった、やった、私やったもん!
結局は、これなんですね。
馬鹿。

バカって言ってはならないけど、
漢字練習のしかた、は懇切丁寧に説明はしているんですよ。
それを聞きたくない、分かりたくない、嫌なことをしたくない、んです。
それが子供ってもんだと、私は譲歩しない。
やろうとすればできるんです。絶対。
ただ、やるだけの動機が要りますね。
親が怒るからじゃなくて、自分でやらなきゃという動機。
私ね、親が怒るこわい、やる、だと高学年になって嘘ついてみたり
いいことないと思うので、それを動機にしたくない。
塾だってそういう説明はするのでしょうが、出来ないこと前提に、
宿題山ほど出すところがあったり、ハイパークラスの子はできてることを前提に応用ばっかり授業をするっていう風になるのかなって。
それはいつか潰れちゃうと思う(うちの子は)

宿題の漢字の時間を、もう練習したくないしここで全部覚えられるものは覚えるという気持ちを持つ、ということを今から身につけられない?
実はそれが効率的なんだと思う。
やればうちの子、そのやり方、出来ると思う。
だって、ピアノではできるんだもん。
意味は分かるハズ。

ピアノで、ただ音を出せば練習になることはありえないと知っていて
漢字にも当てはめればわかるはずだから。

こんなことって、くだらないって取れるようなことですが、
一事が万事これです。

あ、ピアノにしても漢字にしても計算にしても
こんなに苦労して親が辟易、疲労と思わずに、そつなくこなしていくお子さんもいるような気がする。
上に兄弟がいる子とか、なんだろう・・生まれつきテキパキしてる子?
でも、うちの子はそうじゃないのだから、そのように向き合わなくてはなりません。


お母さんは、いい人でもなんでもない、嫌なものは嫌だし
子供は元気に登下校してくれていればそれでいいと思っている。
どんな人生にするか自分で決めて行けばいい。
お金がかかる塾も必要なら行かせることができるが、不要と判断すれば取り上げる。
それは音楽も同じ。

ピアノも勉強もやってくれと頼んでない!
それで、ケンカの種となり怒ってばかりになることは避けたい。
やりたいことに手を差し伸べてやりたい、それだけ。
やりたいならやり遂げないと。


何度となく子供に言い続けていることです。
うちの子、こういわれてつらいんだろうか?
私、親からこういわれたら幸せだっただろうなと思うからこう言うんだけどな。

















by harenohiureshii | 2017-05-06 12:28 | 学習能力